憩いの場に変身する新沢千塚古墳群
橿原市鳥屋町、北越智町、川西町の広範囲にわたって群集墳があります。
古墳の名前は、新沢千塚古墳群。
古墳の築造年代は5世紀中頃〜7世紀初めとされます。昨今では古墳周辺の整備が進められ、レジャースポットとしても注目を集めています。古墳を公園化する試みは馬見丘陵公園がその先駆的役割を果たしているものと思われますが、新沢千塚古墳群もそれに負けじと活発な動きが見られます。
千塚山丘陵におよそ500基もの古墳が築造されている様は圧巻です。
古墳の形状も様々で、前方後円墳、円墳、方墳と実に多彩です。前方後円墳は古墳時代初期に数多く見られるのですが、新沢千塚古墳群の歴史は5世紀中頃まで遡りますから、なんとか前方後円墳の終末期に間に合ったということかもしれません。
公園内には地図も案内されていました。
広大な面積を誇る古墳群です。現在地を確認しながらの散策になります。
副葬品も数多く発見されているようです。甲冑をはじめとする武器や武具が見つかっており、初期群集墳を特徴付けています。
よく新沢千塚古墳群といえば、新沢126号墳がフューチャーされるのですが、残念ながら今回の見学では見つけることができませんでした。滞在時間を少し延ばして、ゆっくり見学できる時にでも楽しみは取っておこうと思います。
新沢126号墳の規模は東西22メートル、南北16メートルの長方形で、長さ3.1メートルの割竹形木棺が納められていたそうです。ガラス碗や竜文の透かし彫りがある金銅製方形板などの出土品もよく知られます。
真新しい木製の階段が付けられ、観光客の呼び込み体制が整います。
今の世の中でも、お墓はある場所に集まって建立されます。日本全国どこへ行っても墓地があるわけですが、ある程度の数の墓石が密集しているものです。その点、昔も今も考え方に相違はないようですね。
位の高い人物を葬る大型前方後円墳は別ですが、普通の人のお墓が単独で建てられることはありません。
そういう意味では、古代人たちの日常の息遣いが感じられる場所なのかもしれません。国の史跡に指定されている新沢千塚古墳群へ足を運んでみましょう!