箸墓古墳は卑弥呼の墓か
長年に渡る古代史のミステリーとして語り継がれているお話です。
前方後円墳の周りにはお堀が巡らされています。
現在のところ、宮内庁は箸墓古墳の被葬者を倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)としています。随分長い名前ですよね(笑)
地元では百襲姫(ももそひめ)と簡略化して呼んでいます。
日本書紀には、百襲姫にまつわるお話として箸墓伝説が残されています。
大物主神の妻となった百襲姫。
夫の大物主神は昼には見えず、夜にのみ妻の元へ通ったといいます。
夫の姿を見てみたいと願う妻に対して、夫は、明朝に櫛笥(くしげ)の中を開けてごらんと言います。櫛笥とは、櫛を入れる箱のことを意味します。
櫛箱を開けてもいいが、私の姿を見ても決して驚いてはいけないよと念を押しました。
明くる朝、妻は大物主神の正体が蛇であることを知って驚くことになります。悔いた妻は、箸を陰部に突き刺して死んだ・・・という伝説です。
箸墓古墳の名前の由来は、この箸墓伝説にちなんでいます。
この箸墓伝説は、古事記の中に書かれている三輪山伝説と酷似しています。
いずれも神婚譚(しんこんたん)なわけですが、箸墓古墳と三輪山の深い関係が垣間見えます。
神意を伝達するシャーマン(巫女)であった卑弥呼。
天皇霊が鎮まるといわれる三輪山の頂上は、箸墓古墳の背後に見えます。この位置関係は、正しく古代のミステリーですよね。
箸墓古墳はお伊勢さんとの関係も深いとされます。
箸墓古墳を中心に、伊勢から淡路に至る200kmにも及ぶ東西線上には、不思議と数多くの古墳や遺跡が並んでいます。
「太陽の道」とも呼ばれる北緯34度32分の東西線。
古代史の謎は、箸墓古墳を中心に展開していきます・・・